ドルショック1971年(昭和46年)
<概要>
1971年のドルショックによって、日本経済は常に為替相場の動きによる影響を受けることになりました。この後、変動相場制の下で、日本経済は常に為替相場の動きによって影響を受けることになります。このことは輸出産業にとっては大打撃であったはずですが、造船、電機、自動車などは値上げや円建て取引で通貨切り上げの影響を回避しました。
<流れ>
1971年8月15日、リチャード・ニクソン米大統領が全米に向けて対外赤字克服政策についての声明を発表しました。この中に金とドルの交換停止が含まれていたことが、世界中に衝撃を与えました。
1944年以来、為替レートの世界的な安定を支えていたドルの金本位制とブレトンウッズ体制の崩壊により、日本企業は為替リスクというまったく新しい変動要因に直面することになったのです。1ドル360円時代が終焉でした。
ニクソン大統領の声明は日曜日、議会の休会中という不意をついて出されたのですが、円切り上げについては、すでに「やむなし」の空気が広がっていました。
ドルの実力低下は世界輸出シェアの減退、金保有高の減少にもっとも端的に現れました。理由はいうまでもなく、アメリカの(1)物価高、(2)米国品に対する海外需要の減退、(3)海外米企業による製品の輸出代替効果などです。
さらにベトナム戦争の戦費調達や国内雇用維持などドルの実力はどんどん低下していました。ただし、その解決が一般的な平価調整(円切り上げ)ではなく、ドルの基軸通貨としての機能を放棄することだとは誰も想像していませんでした。